alohaのひとり言
Hanaを迎える前、13年飼ったゴールデンを亡くした。Bobbyという名前の優しい男の子だった。彼が6ヶ月になった頃、よかれと思い、躾のつもりで警察犬訓練所に預けた。しかし半年後に帰ってきた時はねじ曲がった性格に変わってしまっていた。本当は家族と楽しく過ごすべき大切な時を、無知だった自分が奪ってしまったようで悔いが残る。そんな曲がった性格を矯正するのに、訓練期間以上の時間を費やした。それだけでなく、今思えば決して大切にしてやったとは言えない。ドッグランなどというものも昔はなかった。近くの原っぱで放してやり、大好きなボールを投げて遊んでやったくらいだった。
そのころは自分の事が第一で、Bobbyのことはいつもその次になった。休みの日は自分のために出掛ける事ばかりだった。きっと出掛ける後ろ姿をちょっと期待しながらじっと見ていたのだと思う。その訴える視線に自分は気付く事ができなかった。彼はいつも裏切られていたのにそれでもおとなしく一人で留守番をし、吠えて不満を言う事は只の一度もなかった。それなのに出掛けて家に帰ってくると、精一杯にしっぽを振って迎えてくれた。そんな子だった。そっとひとの足下に寄り添ってきて、耳の後を撫でてやると、膝にもたれかかってくる事くらいが精いっぱいの甘えた仕草だった。他の犬と遊ばせてやるような場所もなかったので、彼の唯一の友達は自分だったに違いない。それなのに自分はそれにずっと気づかなかった。Bobbyが10歳ころになり、顔も白くなってきた頃、その表情にようやく彼の寂しかった思いが理解できるようになった。
それはあまりにも遅すぎた・・・・・・
11歳になったとき、血管腫に罹り安楽死か手術かを迫られたが、祈る気持ちで手術をさせた。奇跡的に回復したBobbyは、その後逝く間際まで自分とボール遊びを楽しんだ。本当にボール遊びが大好きな子だった。自分の気持ちが少し慰められるのはこれだけだ。最期は白血病になり逝ってしまったが、2度目の奇跡に希望を託して私自身が毎日ステロイドの注射をした。それにも彼は我慢して耐えた。また自分とボール遊びをする事を楽しみにしていたのだと思う。最期は入院させていた病院で、獣医が朝4時まで付き添ってくれたが、結局家族に看取られずに逝かせてしまった。最後の最期まで寂しい思いをさせた事が今もどうしても悔やまれてならない。
自分の腕の中で逝かせてやりたかった・・・
Hanaを週2回、必ずドッグランに連れて行く。片道80kmのところもある。雨が降ろうがHanaが行きたいなら、自分の事はあきらめても必ず連れて行く。Hanaが喜んでくれるなら自分のことなど些細な事にすぎない。どんなに仕事で疲れていてもつきあう。Bobbyへの、そして今まで飼ってきたワン達への償いかもしれない。彼らの命は長くても15年、家族として伴に暮らし、最期は自らの死をもって生けるものの命の大切さをおしえてくれる。彼らは神様が人間に授けてくださった天使ではないかと思う。自分ももう若くはないし、大型犬を飼うのはこれが最後になるかもしれない。そう思うとHanaと過ごせる時間を大事にしてやりたいと思う・・・・
それなのに、なぜ・・・あまりにも短い3年と突然の別れ。レストスピラ感染症など無知な自分は知りもしなかった。わかっていればHanaに辛い思いをさせなくてすんだかもしれない・・・。入院させていたHanaの様子を見に行くと、待っていたかのように起き上がろうとするけどままならない。すこし楽な姿勢にしてやると、いつものあの目でずっと自分を見ている。連れて帰ってほしいと訴えている目を諭すようにHanaを見返しても滲んで顔がはっきり見えない。暫くの間ずっとHanaを抱きしめてやった。温かい体に少し安堵し、その後付き添ってやるために一旦自宅へ帰ることにした。それが最後になってしまった。
必ず迎えにきてくれることを信じていたのだと思う。病室を後にする自分をずっと見ていたHanaの顔が今でも目に焼き付いて忘れられない。その目は凛としっかりしていた。弱虫なくせに私に気遣ったのだろうか。そしてHanaも私の姿を忘れまいとずっと見据えていたのだろうか。自宅に帰った直後Hanaは待ちきれず逝ってしまった。またこの子の最期に付き添ってやれなかった。早回しの映画フィルムのようにHanaと過ごした日々が吹き抜けるように一瞬目の前を通り過ぎてゆくのがわかった。何の音も聞こえなかった。
辛かっただろうな、Hanaの無念を思うと自責の念に胸は張り裂けんばかりに軋む。
BGMはMayumi Ichihanaさんの「Forever」とても気に入っています。
Slides Showには「A Lakeside Respite」を使わせていただきました。
親子の手のように・・・

Hanaと私にとって、リードはただ単に犬を繋ぎ止めておいたり、連れ歩く時の抑制に使うものではなく、ましてや訓練の時に使う道具でもなかった。Hanaはリードをつける時は嫌がることもなく、じっとしている。ドッグランなどで放して開放されると、それこそ慢心の笑みで走り出す。それでも臆病なHanaは少し怖い場面にに遭遇すると、立ち止まって振り返り私が来てくれるのを待っている。リードを付けてもらいたいからだ。そんなときリードを付けてやると安心した様にほっとした表情でまたトコトコと歩き出す。だからHanaと私にとってリードはただの引き綱ではなかった。無機質で体温など感じることはないけれど、お互いに触れ合っているような心の通じ合う、暖かくてまるで親子が手と手をつないでいる時のようなものだった。その小さな手の感触が自分の手に今もはっきりと残る。
Hanaは前に飼ったゴ−ルデンのBobbyのように訓練を受けさせる事はしなかったが、散歩の時に我先にと引っ張ることはしなかった。小さい時は遊びたい一心で引っ張ることもあったが、それも直に収まった。だから散歩の時はいつもHanaの好きなように歩かせた。大抵は自分の数歩前を歩いて散歩したが、私の方を時々振り返っては遅いなぁと言わんばかりの表情に、”Hana”と名前を呼ぶと仕方なく立ち止まって、私が追いつくのを待っている。まるで子供に手を引かれて速足を催促されているようだった。でもその何気ない日常の駆け引きが私にはとても幸せな時間だった。
今はそんな幸福な時間もなく、主を失ったカラーとそしてHanaのトレードマークにしていたティファニーのドッグタグ。記念にというにはあまりにも思い出が詰まった形見になってしまった。たった3年の短い間だったけれど、Hanaと心のつながりがずっと永遠である証に、外したタグを車のキーにそっと付けて握りしめた。
”Hana”これでずっと一緒だな・・・とめどなく涙があふれた。

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